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コラム:中傷書き込みを「無視すればいい」と主張するなら自分はできるの?

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 ブログに「死ね」、「ウザイ」、「キモイ」など人をおとしめるような書き込みが氾濫するようになり、未成年者が自殺に追い込まれる悲しい惨事が報道されています。そのようなニュースに対するブログ記事を読んでいると、ここぞとばかりに「そんな書き込み無視すればすむこと」、「真に受ける方が悪い」とあたかも安易に解決できるかのような主張をする人が大勢います。しかし、人はそのような簡単な割り切り方ができるのでしょうか?私はこうした書き込みを読むたびに強い憤りを覚えます。

 今回は中傷に対して安易に無視すればよいというのがなぜ反感を抱くのかを、私なりの主張としてまとめます。

● 他人事だから言える無神経さ

 自分とは関わりのないことほど、その気持ちのつらさを感じ取るのが軽薄になります。自己中心的な考えをする人ほどそれが顕著です。日常生活で他人の心を逆なでする言動をすれば、冷たい視線で無神経さを問われます。ネットではその場で指摘されないだけに、他人事をあたかも単純に解決できるものとして片付けようとします。しかし、それが心を傷つけることに気がつかないのであれば無神経なのです。涙を流している姿を想像できずに、相手の気持ちを逆なでするような言動は人として恥ずかしいことを自覚しなければならないのです。

● 自分が当事者になったらできるの?

 他人の心の痛みを感じ取れない人ほど、自分が当事者になった場合を考えずに物事を受け止めがちです。自分がブログを開設していて、何の落ち度もないのに言いがかりをつけられ、心を傷つける吐き捨て文句を書かれたら本当に平静でいられるのでしょうか?ブログを閉鎖すれば解決などというヘリクツは論外です。それは自分が逃げただけに過ぎないからです。自分なら簡単にできるというのであれば、それを実践しその体験をふまえて主張すべきです。できもしない、あるいは机上論で言うのであれば不謹慎です。

● 実生活で毎日陰口をたたかれて平気?

 もし、ブログでの中傷を気にしなければいいというのなら、実生活で周囲の人からわざと聞こえるような陰口をいわれる日々を過ごすことになったら耐えていけるでしょうか?まわりから視線を感じながら職場や学校で人とすれ違うたびに自分のことをひそひそ言われる陰湿な行為を気にせずにいられるでしょうか?それも、いつそれがおさまるのかもわからずに毎日を気持ちよく過ごせるでしょうか?インターネットでは中傷されれば大勢の人がそれを見るだけでなく、いつその中傷が収まるかもわかりません。そのような生活に気にしなければいいといえば相手はすんなり受け入れられると思いますか?

● 中傷されて平気な顔をしていられる人は

 中傷されて平気な顔をしていられるのはよほど神経が図太いか、あるいは神経の一本が抜けているといわれるくらい生まれつき鈍感な性格の人です。職業からみれば、マスコミに注目される芸能人やスポーツ選手、政治家といったたぐいの人でしょう。しかし、そのような人たちでも人前では何も感じていないようでも、内心では精神的な悲痛をあらわにしているに違いありません。普通の人であれば繊細な感情を持っているだけに、見えない人から心ない中傷をされれば精神的なショックを隠しきれません。中傷する人やそれをいとも簡単に無視すれば解決すると言う人は他人の心の痛みを理解しているのでしょうか?

● 私たちの感情はコンピュータ処理のようにはいかない

 インターネットが普及してから、人の感情はまるでコンピュータのファイルを削除すればすべてが消えるかのような簡単なものととらえる人が多くなりました。キー操作ひとつすれば不愉快な気持ちもすぐに消えて忘れられると、まるで人の心がコンピュータのチップと同じ扱いができるものと勘違いしています。データを消去すれば中身もクリアされる。人の心はそんな単純なものではありません。喜怒哀楽というコンピュータでは表現できない繊細な感情は機械的な処理など絶対にできないのです。

● 思いやりの欠如を自覚すべき

 他人を思いやる振る舞いが年々薄らいできているように感じるのは私だけでしょうか?人の立場で考えたり、つらい思いをしている人をいたわり、人の気持ちを逆なでする行為は慎む心構えを根本から自覚していない人が増えているようでなりません。人との関わり合いが軽薄になり他人の心を害しても罪悪感すらない風潮が、見えない人とのつきあいであるネットで平然と持ち込まれるようになったのかもしれません。しかし、それではいけないのです。見えない人同士だからこそ忘れてはならないのが、相手を思いやる気持ちです。それがあれば、相手を傷つけるような中傷を自制したり、無視すればすむなどといった軽々しい言動は自ずとしません。無神経な言動は自分が持ち得なければならない他人への思いやりが欠如しているのだと自覚すべきなのです。それは人として悲しい振る舞いであることも忘れてはなりません。

 ネットで中傷する側もそれを傍観する側も、あまりにも他人への思いやる気持ちが欠けているようでなりません。その背景には、日常生活で他人を気遣う気持ちが薄れているのが大きいと言えます。ネットでは相手がどのような人であるのかまったくつかめません。だからこそ、相手を思いやる気持ちが不可欠なのです。安易な一言が相手を傷つけるきっかけにもなります。他人事だから言える軽率な発言は慎むべきと強く主張します。その代表例が今回の中傷に対する「無視すればいい」とあしらう言動なのです。

 終わりに、ネットで中傷にあった被害者の苦悩を記した記事を紹介します。これを読んでも、被害者に向かって「無視すればいい」と言えますか?


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2008年10月25日発行 第289号

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