コラム:秋葉原通り魔事件とネットに居場所を求める危険ネットと凶悪犯罪を深く結びつけるのはいささか偏見かもしれませんが、ネットに自分の心の居場所を深く求めるのは当事者に精神的な危険をもたらしかねません。今回はその危険性についてこれまで私がネット運営での経験をふまえながら取りあげます。 ● ネットに自分の居場所を求める人たち 心のよりどころをネットに求める人たちの経緯はさまざまです。たとえば、日常では表現できない自分を見せたい、あるいはネットで有名になりたい、人ともっと絆を深めたいなどがあります。一方、実生活において性格や内面的な理由で対人関係がうまくいかず、ネットに自分の欲求を求めたり、実生活での孤独や寂しさをネットで潤そうとしたり、あるいは自分自身の精神的な居場所をおこうとすると危険に陥りやすくなります。前者であれば実生活とネットを自分自身でコントロールできますが、後者のような「心の穴埋め」を求める人の場合、現実が見えなくなり、ネットの中で自分一人の世界に入り込み、深入りして視野がどんどん狭くなっていきます。特に、実生活を逃避してネットの世界に浸り込んでしまうとネット依存症に陥るおそれがあります。 ● ネットに居場所を求めるのは最近の出来事ではない こうした「心の穴埋め」としてネットの世界に居場所を求める人はインターネット以前のパソコン通信の頃から存在していました。およそ1990年代前半のネットワーク通信全盛の頃でした。パソコン通信によるネットは今のようなインターネットと比べれば一般的ではなかったため、ネット依存症のような精神的な症状はあまり大きく取りあげられませんでした。パソコン通信が大規模であったアメリカでは社会問題として取りあげられていましたが、これも現在のインターネットと比べれば小さい出来事に過ぎませんでした。心身に何らかの理由で実生活に馴染めず、ネットに自分を寄せていくものの、ネットでもうまくコミュニケーションが図れない結果、トラブルを引き起こしてしまう人がいました。 ● なぜネットに居場所を求めすぎてはいけないのか? 自分の心の居場所をネットに求めるのが危険である大きな理由は、自分の頭の中で思い描いた世界に閉じこもってしまい、独りよがりな自分に気がつかなくなるためです。つまり、思いこみの世界から自分が抜け出せなくなる危険があります。実生活では人と関われば相手の態度や忠告などで自分自身に返ってきますが、ネットでは顔をあわせて直接人と接することがありません。人からとがめられることをしてもその場で口頭で注意してくれる人がいないだけに、自分の思い通りに事が運ぶため内に秘めていた心の欲求を満たしていけます。これが気がつかぬ独りよがりの始まりで、ネットという殻の中に閉じこもる要因となります。現実の世界にいながら現実を見失う危険な環境を自ら作り上げてしまうきっかけになります。自分の想像の世界だけで物事が進んでいくため、自分が不愉快な思いをしても自制ができず、情緒不安定になったりゆがんだ形で実生活にはき出す危険も出てきます。 ● 幻想と現実の勘違い ネットに心の居場所を求める人は、対人関係が不得手であったり、内向的で人前で自己表現ができないなど性格的な原因のほか、病気などで人と接する機会に恵まれなかったり、挫折や人間関係への不信など実生活において大きな精神的ショックがきっかけとなることが多く見受けられます。そして、こうした経緯からの脱却をネットで実現できるものとネットの世界へ幻想を抱いてしまいます。しかし、対人関係や社交性が未熟なために、見ず知らずの人へ傍若無人に振る舞ったり、悪ふざけや不謹慎な言動を平然として相手を傷つけたり、以心伝心の通わないやりとりをしてぎくしゃくしていることすら気がつかない事態を招きます。いつしかそれが反発となり、気がついたら周りから人が去り、誰も理解者がいなかったという対人関係の幻想と現実の勘違いにやりどころをなくしてしまうのです。現実生活で孤立し、ネットでも孤立する結末は当事者のみならず傍観者にとっても悲しい出来事です。 ● 実生活でのコミュニケーション力の必要性。しかし・・・ では、ネットに心の居場所を作らないようにするにはどうすればよいか?「コミュニケーション力を身につければいい」と一言で片付ければ簡単にすみます。親身になってくれる相談相手を探せばいい、人と話す機会を増やしたり友達を作る努力をすればいいと口ではたやすく言えます、しかし、それがすんなりいくでしょうか?簡単にできるならとっくに解決しているのです。それが困難な性格や状況であるために難しいのです。私が言えることは、ネットに心の居場所を求めるというのは現実生活に助けを求めるサインであり、実生活でそれを身近にいる人が感じ取ってあげることが大切と考えます。感じ取ってあげることが、その人に手をさしのべる第一歩となり、その人を救うきっかけとなっていくのがひとつの方法でないでしょうか。相手に要求するのではなく、身近な人が歩み寄っていくようにしていかなければ接点が見いだせません。しかし、これも現実的に難しいのはいうまでもありません。
ネットに心を依存すれば現実世界との接点を見失う危険は避けられません。ひとつ間違えれば悲劇を巻き起こすことも否定できません。もし自分自身が何らかのきっかけでネットに入り浸りになるとき、どうか自らその危険を頭の片隅にでもとどめておいてほしいと願う次第です。 2008年 6月26日発行 第285号
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