特集:日本語表現なんか気になるこの一言親しい人との会話や、ネット掲示板、あるいはチャットで日本語としては明らかに間違った表現、あるいはあいまいで意思疎通しにくい表現が多く見かけます。言葉使いそのものが近頃乱れていたり、適切な日本語が年齢を問わずできなくなっているという指摘もあります。ネットでは文字だけのコミュニケーションに頼るため、自分の伝えたいことを適切な言葉を使わなければ誤解を招いたり、行き違いを生む結果になります。 ここ最近、気になる表現をいくつか取りあげてみます。 ○ 役不足 能力のない人にその職務は難しくてつとまらないと言いたいとき 「彼が責任者をつとめるのは役不足だ」 という人を多く見かけます。この表現は間違っています。役不足というのは、その人では簡単すぎて物足りないと言うときに使います。上記のような意図で伝えたいならば 「彼が責任者をつとめるのは荷が重い」 というのが適切でしょう。 ○ うざい 不快感や気に入らないなどの表現として多用する人が増えつつあります。「うざい」をもし自分なら状況に応じた別の表現に置き換えられますか?そもそも、この表現は元来日本語にあったのかどうか疑問です。うっとうしい、煩わしいという「うざったい」というのが語源かとも推測されますが不明確です。うざいってなに?って問いつめたくなるときもあります。話し手と聞き手が伝わりにくい表現は誤解の元になるだけにこの表現はよいとはいえないです。 ○ 痛い 「あいつの行動は痛い」、「最近痛い奴が多い」など、人を見下したり卑下する使い方を目にしますが、これも気になります。「見るに堪えない」という使い方かどうかはわかりませんが、あきれた意味で使う表現としては広辞苑を調べた限り見つかりませんでした。「気の毒な」という「いたわしい」が誤認されてこうなったのかはっきりしないのですが、うざいと同様、適切な表現を使うべきです。 ○ まったり 「まったり過ごしています」など、このまったりを使う人は多いです。しかし、どういう意味で使っているかあいまいで、意図がつかめません。元々、こくのある、まろみがあるという味覚表現なのですが、いつしか、のんびりとした雰囲気や、なごみのある状態を指す言葉になりつつあります。物事に執着するという意味で使われるようになった「こだわる」のように、まだまだ市民権の得られない状況だけに、表現を置き換えるとすればなにがあるかをふまえてきちんとした言葉を使うのが賢明でしょう。 最近は向かい合って相手に物事を言うのを嫌う傾向があるのでしょうか?あいまいにわかってくれるようなぼかした言葉使いが多くなっています。また、漢字の綴りで誤認した使い方になるケースも伺えます。コミュニケーションに言葉は不可欠、表現能力はとても重要です。どこかで自分の言葉使いを見直せる機会をもっていきたいですね。
2005年7月28日発行 第250号
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