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コラム:自分の意見、「思う」ばかりで断定できないの?


 ホームページやメーリングリスト、掲示板で自分の意見を述べるとき、「〜と思います」という表現が多用されているのが目立ちます。きちんと自分の意見を「〜である」と述べてもいいのに「思う」を連発している文章が多く、読み手にとってはいささか疑問を感じるときもしばしばです。昨今の入試での小論文でも断定をせず「思う」で帰結する内容が多く、説得力に欠けるとの印象をもたれてるそうです。
 私は自分の意見をきちんと話すために極力「思う」という表現を使わないようにしています。そうした立場から見た最近の「思う」を使う背景についてコラムとしてまとめてみました。

● そもそも「思う」とはどういう意味?

 「思う」は多くの意味を持っていますが、論述においては「想像する」、「予想する」という意味合いをもちます。つまり、頭の中で想像しているだけで正確ではない、または明白ではない内容のものを表現するときに使われます。ところが、板に判を押すかのように述語を「思う」にすれば内容そのものがすべてあいまいになるばかりか、歯がゆい結論に読み手も困惑しかねません。どこか勘違いして使っているのではないか、そんな疑問も感じられます。

● 「思う」にすれば和やかになる?

 結構こう考えている人が多いのではないでしょうか?時折、論述には「思う」で帰結しろと言う内容の注意書きをしたMLの紹介ページを見かけます。
 こうした背景には、物事を言い切ると当事者や読み手に角が立つ不安を懸念しています。もめごとになったり、関係がこじれるきっかけを生むのではないかという心配から、「〜と思う」とすれば和んで表現が軟らかくなると解釈しているのだと見受けられます。また、人を傷つけたくないと言う心境から「思う」を使えばよいと考えている人もいます。
 これらは明らかに「思う」の本質的な意味を逸脱しており、結果として誤解を招くきっかけとなります。

● 人から反論されるのを恐れている

 自分の意見にもし反論されたらそれに答えられない、あるいは反論されるのが恐いので断定できない人も少なくありません。これは日頃から議論や意見を述べる機会の少なさがあります。文章を書く機会すら学校で満足に習得していない現状もその一因です。それゆえに、自分の言い分は通したいのに反論は受けたくない、そんな気持ちが「思う」ににじみ出ている傾向があります。なぜなら、言いたいことは露骨に言っておきながら最後に漠然と「思う」で終わろうとしている内容を多く見かけられるからです。

● 他人から嫌われる

 日本人特有の「いじめ」のきっかけのような背景といえます。自己主張する人を集団で嫌おうとする気質です。それを恐れるあまり、自分の意見を述べること自体を避け、できるだけ人や誰の意見でもないような表現として言おうとする傾向が特に目立っています。それがこの「思う」という使い方です。これは述べる側だけでなく、読み手の対応も要求されます。人の意見をふまえた振る舞いが両者ともにできなければコミュニケーションがとれません。その訓練が我々には不足しているためにこうした実状が生まれているのではないでしょうか?

● 自分の意見に自信がない

 自分の考えをきちんとまとめられず、人には言いたいけれど自信がないために漠然とした表現で帰結しようとするときに使うケースも見られます。これでは先にも述べたように内容に説得力がなく、人の心を動かせません。また、自分の自信のなさそのものを見せつけることにもなります。人に意見を述べるのなら自分の意志をしっかりもたなければなんの意味もありません。言いたかっただけでは自己満足です。最後に言葉を曖昧にしてぼかすような主張は耳を傾けてはくれません。

● 心の中で逃げ道を作ろうとしている

 これも自分の主張に自信のない表れです。自分の意見に反論されたり指摘を受けたときに「断定ではなく自分の思ってること」だからと言えば回避できると逃げ道を作ろうとします。しかしながら、内容そのものは実は強い調子で書いていて最後に「思う」とつけていたりする場合があり、これでは他人から反論を受けるのもいたしかたありません。人に何かを言いたいのであれば逃げ道を作らない、これは議論や意見交換をするときの鉄則でもあります。

● 「思う」という言葉に都合のよい解釈をしている

 日本語の乱れの一因ともなっているのが、表現そのものを共通の認識ではなく自分の都合のよい解釈にする使い方です。この「思う」がそれにあたります。本来の意味で使うのではなく、たとえば反論を避けたり、自己主張をあいまいにしたり、人間関係を崩さないための自己回避策に使うという方法です。このような自分の都合のよい使い方を互いにしていれば、以心伝心がお互い通じ合わないやりとりをするだけなのです。最近は「まったり」など解釈が人によって相違のある表現が目立ちます。このような使い方を「思う」にも適用すれば文字でのコミュニケーションそのものが成り立ちません。

● 自分の意見は断定してきちんと述べよう

 自分が人に向かっていいたことがあればきちんと断定して述べるのは大切です。もちろんそのためには根拠なり説得するための要素が必要になります。それらをふまえながら頭の中で自分の言いたいことを整理してから人に物事を主張しなければ、結局のところ誰も賛同してはくれないのです。単に人に言いたいだけなら人に言うのではなく自分の心の中で唱えていればよいのです。見知らぬ人同士で議論をする機会をあまり得ていない日本人にとって、ネットのコミュニケーションは非常に難しい技能です。それをどこかで乗り越えてよりよい自分を磨き上げるのも大切です。今から「思う」を連発するのではこうした壁は乗り越えられません。自分を意見はきちんと、そして責任を持って述べる習慣をぜひ体得してほしいです。

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