コラム:メル友殺人事件に寄せて今回のコラムは、シビアな話です。 京都の宇治川で起きた女子大生水死事件で、犯人の男が先日逮捕されました。動機は不明ですが、事の発端となったのがメール交換から始まる「メル友」からでした。メール友達に会いに行くといって悲劇に巻き込まれれたこの事件に、いささか「メル友」への偏見がささやかれつつあります。
「メル友は悪だ」 「メール友達に会いに行くこと事態おかしい」 さて、メル友とのつき合い、とりわけ文字だけのつきあいしかないメル友に会いに行くのが悪というのは、行き過ぎた考えではないでしょうか。 「安易に」会いに行くのはよいとは言えませんが、人と知り合うきっかけ作りを既存の出会い方だけしか肯定できないのは疑問が残ります。インターネットは現実生活以上に「きっかけ」を作ることのできる世界です。人と知り合いになれるチャンスを大いに秘めており、メーリングリストをはじめ、出会い系サイトなど「コミュニティ」ができたのもその表れです。私も、インターネットを通じて分野外の人と直接知り合う機会をたくさんもちました。人との関わりを作れるインターネットならではの恩恵と思っています。 そういった経緯をふまえて、私はメールで知り合った人に会う行為はよくないという意見には同意できないところが多いです。 現状を考えると危険がいっぱいあるのも確かです。今回のような殺人事件に発展するケースはきわめてまれでしょうが、過去にも危険なハプニングは数多くありました。ナンパ目的ならまだしも、誘拐や暴行を意図したトラブルがこうした直接会うときに起こります。これは、インターネット以前のパソコン通信から起きていました。 今回、指摘された点は、「会う前にどうやって相手の真意を読み取るか」です。といって口では簡単ですが、具体的にどうすればよいかわかりません。 私は、文章の書き方である程度の相手の雰囲気を読み取ります。経験がいりますが、仮面をかぶった人の文章には内容と主張がアンバランスでぎこちないのが浮かび上がります。また、意図を含む表現を間接的に盛り込もうとしてもそこに胸の内が入ってしまうので、そのへんを読み取って会うかどうか判断します。それから私は本名を名乗らない人とは会いません。お互いに素性を教えあえる段階ができなければすぐには会わないようにしています。つまり、フィーリングで見知らぬ人とは会わないようにしています。 今回の事件では、かなりメール交換を繰り返しているようですが、そのやり取りの中で相手の真意をどこまで知り抜くかが悲劇を未然に防ぐ焦点だったのかもしれません。これでは結果論になってしまいますが、メールでのやり取りは気軽な会話から心を読み取る読解力を養う必要があると言えます。それが、デジタルから現実への人づき合いに発展していくための不可欠な能力となっていくでしょう。 メル友を通じて新しい出会いのきっかけを作る行為はけっして悪いことではありません。ただ、現実社会での出会い以上に、文章の読解力と相手へのアプローチ、そして自己責任での判断の慎重さが要求されるでしょう。それをふまえてインターネット上で行動していくのがトラブルを未然に防ぐ手段とみています。 2001年 5月19日発行 第63号
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