特集:メーリングリストの歴史(2)メーリングリストの歴史、今回は1990年から1996年の頃のインターネット普及期を背景に話を進めてまいります。 ○ インターネットメールとML管理ソフトの開発 日本でインターネットが広まり出したのは1990年前後と言われています。ネットワークをつないだ大学の御三家(東大、東工大、慶応大)から端を発し、学術研究期間やNTTなど一部の企業が徐々に加わり電子メールをやり取りするようになりました。もう今では使われていませんが、NTTの初期のドメインは、ntt.jpでした。今でも特殊なのが文部省高エネルギー加速器研究機構(KEK)のkek.jpです。これ以外はco.jpやac.jpといった第2ドメインで分けられています。(現在では***.jp形式のドメインが自由に利用できます。) 電子メールは社内LANで使われていたものの、外部とまで簡単に同じ規格でメールをやり取りできる利便性が驚くものでした。 インターネットの普及が徐々に広がる中でメーリングリストのソフト作りも盛んになっていました。独自のオリジナルプログラムを開発し、改良を重ねフリーウェアとして配布されるようになってきました。それもインターネット上でです。Majordomoやfmlも1990年前半には産声を上げていました。日本でもML管理ソフトの開発は行われており、fmlの他にも当時nmlやhmlといったものがありました。今はどちらも開発はされていないようです。 ○ さまざまなジャンルのMLが登場 ML紹介サイトとして有名な「月刊ML紹介」は誰もが一度は利用したことがあるでしょう。 ところで、このサイトが「月刊」という名称の由来をご存じでしょうか?もともとは、ニュースグループで毎月20日に投稿されていたため「月刊ML紹介」という名前だったのです。月刊ML紹介は1990年に創刊され、1990年当時は数百程度のMLにすぎませんでした。サーバーも学校でつないでいるマシンを使って自力でソフトをインストールしなければならず、それも当時は設定が難しく中級以上の技術的知識のある人でないと立ち上げられませんでした。そうそう、「ホームページ」はまだ普及していません。 主なジャンルとしては、UNIXなどコンピュータ関連の専門情報を扱うMLが多かったです。趣味系も多く、マンガやアニメ、歌手や声優と言ったものが特に目立っていました。そのころは、専門的な情報交換をやりとりするのがメーリングリストの活用であるといった風潮があったのでしょうか、なぜかフリートークのMLは存在していませんでした。私自身、疑問に思っていたものでした。パソコン通信全盛期の1990年前半、フリートークはパソコン通信でやればよいといったものがあったのかもしれませんが、正確にはわかりません。 ○ 阪神大震災とメーリングリスト インターネットの有用性がマスコミで取り上げられたきっかけともなったのは、1995年の阪神大震災でした。1990年中半から、個人向けインターネットプロバイダが登場し、家からインターネットが利用できる環境が少しずつ整い始めてきました。ネットスケープやインターネットエクスプローラーの前身に当たる「Mosaic」というソフトが脚光を浴び始め、ホームページが作成されるようになってきたのもこのころからでした。 さて、阪神大震災ではインターネット上でボランティアによる現地情報が逐次流れていました。ニュースグループではあちこちで流れる物資情報や道路交通情報を整理してひとまとめにしてくれる人がいたり、ホームページにまとめてくれるところもありました。ボランティア活動のためのメーリングリストもあちこちで開設され、救援活動に多大の貢献をしたのは印象的でした。当時、被害を受けた神戸大学のサーバーを何とかして復活させて現地情報の拠点とした取り組みにネット上の大勢の人が尽力していたのを覚えています。 ○ プロバイダの普及とML開設サービスの登場 1995年の終わりごろにWindows95が発売され、その熱狂ぶりというか洗脳的な販売戦略は記憶に新しいところがあります。このころから、相次いでインターネット接続プロバイダが開設されるようになりました。 話がそれますが、あのYahoo JAPANが始まったのもこの時期です。このYahooの前身はソフトバンクが独自に開設していた検索サーバーだったんです。もちろん、登録すれば落とされることはまずなかったでしょう。このサーバーがYahooに変更されるときは、ご丁寧にデータ移行の依頼メールが寄せられたほどでした。参考までに、ホームページ情報をさがしに行くとすればNTTホームページ(現在のOCN サーチ)が定番で、日本のホームページ玄関口つまりポータルサイトといわれていました。 さて、メーリングリスト開設サービスはいつごろからできたのかというと、この当時に存在していたのは、IIJ-MC(現在はIIJに業務統合)、ASAHIネット、So-netとリムネットぐらいでした。IIJ-MC以外はそのプロバイダと契約しないとMLは開設できませんでした。それでも、サーバーをもたなくてもMLが作れるとあって画期的なサービスでした。このおかげでMLの開設数が飛躍的に伸びていったのはいうまでもありません。そして、1996年、本格的なインターネットブームが火ぶたを切ります。 次回は1996年を舞台に、ML開設プロバイダの登場と発展について話をしていきます。どうぞお楽しみに。 2000年 6月24日発行 第16号
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